天地人~「天地人」の舞台を訪ねて~
愛があるから、やさしさにあふれた。 愛のために、強くもなれた…。 毘沙門天の化身といわれた上杉謙信の教えを 主君・上杉景勝とともに受け継ぎ、 私利を捨て民のために力を尽くした直江兼続。 秀吉に絶賛された知性と高潔な人格、 ゆるぎない忠誠心で、終生、上杉家を支え続けた。 戦国乱世に「義」を貫いた兼続の兜には、 「愛」の文字の前立てが燦然と輝いていた。
ドラマの舞台を訪ねて…
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第1回
兼続のふるさと・南魚沼豊かな田園風景、ゆったりと流れる清流魚野川…。日本の原風景が・・・・
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第2回
謙信の教えを受け継いだ地・上越上杉謙信が30年余り居城とした春日山城は、標高180メートル・・・・
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第3回
上杉家の再興を夢見た米沢織田信長の死は、群雄割拠の戦国の世で秀吉の台頭の契機と・・・・
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第4回(最終回)
米沢に愛された上杉の心関ヶ原の戦いの後、会津120万石から米沢30万石へと減封された上杉家・・・・
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直江兼続(なおえかねつぐ)とは…
永禄3年(1560年)
兼続は、越後の国の坂戸城下(現・新潟県南魚沼市)に、坂戸城主長尾政景(ながおまさかげ)の家臣・樋口兼豊(ひぐちかねとよ)の長男として生まれました。
幼名与六(よろく)。5歳の時、政景の妻で、上杉謙信(うえすぎけんしん)の姉でもある仙桃院(せんとういん)に非凡さを見込まれ、その子、景勝(かげかつ)の小姓として仕えるようになりました。
春日山城で謙信より「義」の精神を学び、早くからその才覚を発揮。御館(おたて)の乱の戦功によりわずか21歳で家老に抜擢されました。秀吉より篤い信任を受けて重用され、景勝の会津移封に伴い、米沢を与えられました。
しかし秀吉の死後、徳川への服従を拒んで関ヶ原の合戦で西軍についた上杉家は、存亡の危機に立たされます。
兼続の渾身の働きにより上杉家の存続は許されますが、領地は米沢30万石のみに減封されました。兼続は家臣とともに治山治水、産業振興、学問奨励など国造りに取り組みましたが、志半ば、60歳でその生涯を閉じました。