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「平清盛」の舞台を訪ねる旅

第2回 平家台頭の地・六波羅

なだらかな東山の山並みに抱かれ、清らかな鴨川の流れを望む京都・東山地域…。

八坂神社や清水寺、高台寺などの人気観光スポットが集まる場所ですが、古くはこの一帯から山麓にかけては葬送の地・鳥辺野(とりべの)と呼ばれ、荒涼とした原野におびただしい髑髏(どくろ)が転がるような寂しい所でした。この入口に当たる六波羅はこの世とあの世の境界と考えられた古くから信仰の地で、六道珍皇寺や六波羅蜜寺が建立されました。

平家と六波羅との関わりは古く、清盛の祖父・正盛にまで遡ります。正盛は珍皇寺附近に邸宅を構え、御堂(常光院)を建立。平安後期には北は四条通、南は七条通、西は鴨川、東は東大路通に囲まれた広大な寺域を誇ったという六波羅蜜寺の境内の塔頭に、忠盛は平家一族を住まわせ、京都における拠点としました。その後、清盛が権力を握ると一帯は豪壮な邸宅が建ち並んだ5200戸余りの大集落を形成し、「六波羅殿」と呼ばれるようになりました。

現在、かつての六波羅には、六波羅邸の東に向かって開かれた惣門にちなんだ多門町、門の脇にあったことから門脇殿と呼ばれた清盛の甥・平教盛邸の門脇殿があった門脇町、清盛の邸宅・泉殿があった旧泉殿町、清盛の継母池禅尼(いけのぜんに)の邸宅・池殿があった池殿町など、往時を物語る地名が残るばかり。平家の権勢の面影こそ残っていませんが、平家とのつながりを強く感じさせる地域です。
六波羅蜜寺
六波羅蜜寺
963年(応和3)空也上人が西光寺として創建、後に六波羅蜜寺となりました。
西国三十三ヵ所第17番札所。

六波羅蜜寺
京都市東山区五条通大和大路上ル東
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平清盛公の塚

住宅街にひっそりと佇む現在の寺の姿からは、かつての威容は想像できません。
しかし宝物館には空也上人像、経巻を手にした平清盛公坐像(ともに重要文化財)など平安、鎌倉時代のすぐれた彫刻を多数収蔵しており、この寺の華麗なる歴史の一端が伺えます。また境内の一角には清盛の塚があります。
建仁寺勅使門
建仁寺勅使門
京都市東山区大和大路通四条下る小松町

境内の南正面、八坂通りに面する勅使門は、天皇の勅使を迎えるための門で、普段は閉じられています。
元来、平重盛の六波羅邸の門、あるいは平教盛の館門を移建したものといわれています。
崇徳天皇御廟
崇徳天皇御廟
京都市東山区安井北門通上ル万寿小路西側

花見小路の祇園甲部歌舞錬場の裏側、万寿小路に面した崇徳院をまつる御廟。
保元の乱に敗れ、配流先の讃岐で悶死した崇徳院の怨念を鎮めるための一塚が築かれたことに由来します。
六道珍皇寺
六道珍皇寺
京都府京都市東山区大和大路通四条下る4丁目小松町595

昔、清水寺が建つ辺りは鳥辺野(とりべの)と呼ばれ、化野(あだしの)、蓮台野(れんだいの)とともに京都の3大葬送地に数えられていました。
六波羅は、古くは鳥辺野への入口付近。まさに冥界への入り口と考えられていました。珍皇寺(ちんこうじ)の前が賽河原(さいのかわら)と伝えられ、門前の六道の辻はあの世とこの世の境界とされていました。境内には小野篁(おののたかむら)が冥土通いをしたと伝わる井戸があり、閻魔堂には小野篁と閻魔大王の像が並んで安置されています。
清水寺
清水寺
京都府京都市東山区清水1-294

平安遷都よりも古く約1200年前に開創。境内に湧きでる清水に由来し、「清水寺」と呼ばれるようになりました。平安時代中期には興福寺の末寺であったため、延暦寺と興福寺の抗争に巻き込まれて、たびたび火をかけられました。
平家物語巻一「清水寺炎上」には、後白河天皇と二条天皇の対立が興福寺と延暦寺の宗徒の衝突を招き、清水寺を焼き払うという大事件に発展したことが描かれています。
若一神社
若一神社
下京区七条御所ノ内本町98番地

清盛が紀州熊野の若一王子の御霊を祭ったのが始まりで、この一帯には広大な敷地を誇る平清盛の別邸西八条殿があったといわれています。出家後の清盛はほとんどを福原(神戸)で暮らしており、ここには妻の時子がいたとか。
小さな社の前には、樹齢800年の楠の大樹がこんもりと葉を茂らせています。これは清盛手植えの楠と伝わるご神木です。

平家落人伝説の里

白川郷

白川郷(岐阜県大野郡白川村)

倶利伽羅峠の合戦で敗れた平家の残党が、1180年(治承4年)から隠れ住んだといわれる白川郷。

落人は川村荻町、御母衣、飯島にも住み着いたといわれています。白川郷は石川県、福井県、岐阜県の三県にまたがる標高2,702mの白山(はくさん)の東に広がる険しい山岳地帯で、日本屈指の豪雪地帯。庄川(しょうがわ)沿いのわずかな段丘面に、合掌造りの集落があります。
厳しい風雪に耐えるため、家々は急こう配の茅葺屋根となっています。過酷な環境ではあっても、外部との接触を拒みひっそりと暮らすことを望んだ落人にとって、ここが安住の地だったのかもしれません。御母衣(みほろ)の大戸家(おおどけ)は 平家の家臣大戸重則の子孫と伝えられ、平家の赤旗と刀を伝えています。

大河ドラマ衣裳考証 小泉清子

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