「江 姫たちの戦国」を辿って
戦国時代随一の美女といわれるお市の方。
兄・織田信長の命で浅井長政に嫁ぎ、茶々、初、江の三姉妹をもうけました。
政略結婚ではありましたが、夫婦仲は睦まじかったといわれています。
しかし、信長の越後侵攻によって両家の友好関係は断絶。 姉川の戦いで長政は大敗し、落城する小谷城と運命を共にしました。
お市の方は夫・長政と果てることを望みましたが、周囲に説得され三人の娘と共に城から脱出し、信長の庇護を受けました。
本能寺の変後、信長の後継を巡って戦国の勢力地図は大きく動き出しました。
秀吉の権力拡大を阻止するために、再び政治の道具となったお市の方は柴田勝家と再婚し、三姉妹を連れて越前北庄に移ります。
しかし、ここも平穏の場ではありませんでした。
わずか一年後、勝家と対立する羽柴秀吉が攻め入り、お市の方は勝家と共に北庄城で自害しました。
兄・織田信長の命で浅井長政に嫁ぎ、茶々、初、江の三姉妹をもうけました。
政略結婚ではありましたが、夫婦仲は睦まじかったといわれています。
しかし、信長の越後侵攻によって両家の友好関係は断絶。 姉川の戦いで長政は大敗し、落城する小谷城と運命を共にしました。
お市の方は夫・長政と果てることを望みましたが、周囲に説得され三人の娘と共に城から脱出し、信長の庇護を受けました。
本能寺の変後、信長の後継を巡って戦国の勢力地図は大きく動き出しました。
秀吉の権力拡大を阻止するために、再び政治の道具となったお市の方は柴田勝家と再婚し、三姉妹を連れて越前北庄に移ります。
しかし、ここも平穏の場ではありませんでした。
わずか一年後、勝家と対立する羽柴秀吉が攻め入り、お市の方は勝家と共に北庄城で自害しました。
浅井長政・お市夫婦の像
色白で細面、切れ長の目元、艶やかな黒髪…。お市の方が絶世の美女であったことを証明するかのような肖像画が、高野山持明院に遺されています。
これはお市の方の七回忌に、淀殿(茶々)が供養のために描かせたものといわれています。聡明で機転がきき、また信長譲りの強気な一面もあったといわれるお市の方。
「市が男だったらよい武将になったであろう」と信長は語っていたといいます。
本来ならば終生添い遂げていたはずの長政との夫婦生活を全うできず、いかにも男たちの覇権争いの犠牲になったかのようなお市の方ですが、実は強い意志を持って誇り高く生き抜いた女性だったのではないでしょうか。
JR河毛駅前には仲睦まじく肩を並べる二人の像があります。
これはお市の方の七回忌に、淀殿(茶々)が供養のために描かせたものといわれています。聡明で機転がきき、また信長譲りの強気な一面もあったといわれるお市の方。
「市が男だったらよい武将になったであろう」と信長は語っていたといいます。
本来ならば終生添い遂げていたはずの長政との夫婦生活を全うできず、いかにも男たちの覇権争いの犠牲になったかのようなお市の方ですが、実は強い意志を持って誇り高く生き抜いた女性だったのではないでしょうか。
JR河毛駅前には仲睦まじく肩を並べる二人の像があります。
穴太積み(あのうづみ)の石垣が美しい坂本の街並み
琵琶湖の西岸、比叡山の東の裾野にある坂本は、天台宗総本山延暦寺の玄関口として栄えた町。
延暦寺の権力が巨大化するとともに軍事力も蓄えたため、天下統一の野望を掲げた信長は総攻撃を加えて比叡山の焼打ちを行い、次第に坂本は衰退しました。
栄華を誇った時代をしのべるのは、寺院建築にも使われた豪勢な石垣の街並み。 穴太積みといわれる石垣は、高度に計算された方法で大小の野面石を積み重ねていくもので、名城と謳われた安土城や彦根城の石垣にも用いられました。
延暦寺の権力が巨大化するとともに軍事力も蓄えたため、天下統一の野望を掲げた信長は総攻撃を加えて比叡山の焼打ちを行い、次第に坂本は衰退しました。
栄華を誇った時代をしのべるのは、寺院建築にも使われた豪勢な石垣の街並み。 穴太積みといわれる石垣は、高度に計算された方法で大小の野面石を積み重ねていくもので、名城と謳われた安土城や彦根城の石垣にも用いられました。
戦国姫君ときもの
花立涌(はなたてわく)
雲気や水蒸気が立ち上って行く様をあらわした有職文様(ゆうそくもんよう)の一つ、立涌文。
向かい合った二本の線が中央でふくらみ、両端ですぼんだ形の連続した模様のことで、ふくよかな曲線の内側に菊や松、藤、波、雲などの文様をあしらいます。そのため多彩なバリエーションがあります。
高野山持明院に残されたお市の方の肖像画は桃山時代の女性の典型的な装いですが、この赤地の腰巻の柄が花立涌に丸に菊唐草文様です。
優美さと気品、華やかさが漂うこの肖像画からは、一見たおやかでありながらも芯の強い女性像が伺えます。
現在、花立涌文様は格式の高いきものや帯の柄などに用いられています。
写真右は、持明院の肖像画を元に1992年に復元されたお市の方の小袖。
京都・永井織物所蔵