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第5回 終焉と再生

慶応4年(1868年)、江戸城は明治新政府軍に明け渡され、東京城(とうけいじょう)に改名され、江戸も東京と呼ばれるようになった。時代の流れを篤姫はどのような思いで眺めていただろうか。

慶応2年(1866)、14代将軍家茂がわずか21歳で死去すると、慶喜が15代将軍となったものの、その翌年には京都・二条城で大政奉還、王政復古の大号令が出されました。徳川幕府264年の歴史に幕を下ろしたのが、将軍継子問題で篤姫の養父・薩摩藩主島津斉彬らが推した慶喜であったことは、あまりにも皮肉な結末と言えるでしょう。 鳥羽伏見の戦いを経て、慶喜は上野・寛永寺で謹慎生活、篤姫は本寿院とともに身一つで一ツ橋徳川邸に身を寄せ、和宮は一旦、田安邸に引き取られ、翌年京都に戻るなど、徳川幕府の崩壊を心寂しく受け入れたのでした。

京都・二条城

京都・二条城

慶応3年(1867)、40藩の重役によって大政奉還の会議が行われ、二の丸御殿大広間にて、15代将軍徳川慶喜が大政奉還を発表した。
◆京都市中京区二条通堀川西入二条城町541

皇居側からみた丸の内オフィス街。 皇居側からみた丸の内オフィス街。

篤姫の住まい

一ツ橋徳川邸 一ツ橋邸跡
◆千代田区大手町1-4

一ツ橋徳川邸 一ツ橋邸跡

江戸城を去った篤姫が最初に身を寄せたのは一ツ橋邸だった。以来、徳川家の援助でゆかりの屋敷を転々とする不遇の時代が続いたが、何一つ不満を漏らすことはなかったという。

青山紀州邸

青山紀州邸
◆港区元赤坂1丁目(赤坂御用地)

尾州下屋敷戸山邸

尾州下屋敷戸山邸
◆新宿区大久保3-5-1(戸山公園)

赤坂福吉町・旧相良藩邸

赤坂福吉町・旧相良藩邸

明治5(1872)年から約5年間過ごした赤坂福吉町の旧相良邸。16代当主の幼い徳川家達や、夫・13代将軍家定の生母・本寿院、14代将軍家茂の生母・実成院(じつじょういん)も一緒に暮らしました。
◆港区赤坂2-17-7(赤坂溜池タワー)


千駄ヶ谷徳川邸跡

篤姫の終の棲家。10万坪を超える敷地を有したが、質素な平屋建ての家でつつましく暮らした。篤姫の窮状を見かねた薩摩藩が援助を申し出たが、固辞。僅かな生活費の中から元大奥の人たちのために惜しみなくお金を使い、49歳で亡くなったときは現在の価値にして6万円ほどしか持ち金がなかったという。
◆JR千駄ヶ谷駅前・東京体育館あたり

千駄ヶ谷徳川邸跡

勝海舟銅像

■勝海舟銅像 (墨田区役所)
勝海舟は、西郷隆盛との会談で江戸城無血開城を実現した。明治維新後、近代日本の建設のために活躍する一方、徳川家や旧幕臣のために尽力した。篤姫が旧相良邸に暮らしていた頃、隣町の赤坂氷川町住んでいた勝海舟と盛んに交流があったといわれている。

■勝海舟邸跡
勝海舟邸跡
港区赤坂6-6-14
■勝海舟生誕地の碑
勝海舟生誕地の碑
墨田区両国4-25 両国公園内

徳川慶喜巣鴨屋敷跡

静岡での謹慎生活を終えた慶喜は、巣鴨中山道沿いの別邸に暮らした。邸内にはたくさんの梅が植えられ、地元では「ケイキさんの梅屋敷」と呼ばれていた。
◆豊島区巣鴨1-18-11

徳川慶喜巣鴨屋敷跡

徳川慶喜の墓

徳川慶喜の墓

大政奉還を経て、江戸城無血開城を実現。明治維新後は公爵となり、大正2年(1913)に77歳で没した。徳川幕府最後の将軍でありながら、歴代将軍で唯一、徳川霊廟に葬られなかった。
◆谷中霊園 東京都台東区谷中7-2


増上寺徳川家霊廟(非公開)

明治10年(1877)和宮32歳で死去。生前の希望により、最愛の家茂とともに増上寺に眠る。
◆東京都港区芝公園4-7-35

増上寺徳川家霊廟(非公開)

寛永寺徳川家霊廟

寛永寺徳川家霊廟 (非公開)

明治16年(1883)篤姫49歳で死去。夫・家定の眠る寛永寺に葬られた。
◆東京都台東区上野桜木1丁目


篤姫の住まい

箱根は、篤姫にとっても和宮にとっても非常にゆかりの深い地。和宮が32年の短い生涯を終えた塔ノ沢、篤姫が晩年に訪れた芦ノ湖などがあります。

環翠楼

脚気を患った和宮は、医者の勧めで箱根塔ノ沢の環翠楼に湯治に出かけ、発作に見舞われ、環翠楼で亡くなった。3年後、箱根を旅した篤姫は和宮を偲び環翠楼を訪れている。旅日記に「君かよはひ とどめかねたる早川の 水のながれもうらめしきかな」との歌を詠んだ。

塔ノ沢温泉は芦ノ湖から相模湾へと注ぎこむ早川のほとり。
増上寺徳川家霊廟(非公開)

阿弥陀寺

阿弥陀寺

阿弥陀寺は、徳川将軍家の菩提寺・増上寺の修行寺。塔ノ沢で亡くなった和宮の本葬に先立ち、通夜・密葬を執り行った。寺には和宮の位牌を祀り、「和宮香華院」と呼ばれており、また本堂には和宮の御念持仏・黒本尊阿弥陀仏が安置されている。


■阿弥陀寺山門
箱根湯本、塔ノ沢のいずれからも約30分。急峻な山道を登ったところに、こじんまりした阿弥陀寺がある。鄙びた風情が薄倖の姫君の生涯に重なり、涙を誘う。

■阿弥陀寺参道
阿弥陀寺参道

■寺の紋所は、徳川家と同じ三つ葉葵
寺の紋所は、徳川家と同じ三つ葉葵

阿弥陀寺山門

葵の御堂 「皇女和宮香華院」の木札

本堂入り口には「皇女和宮香華院」の木札が掲げられている。本堂手前を左手に進むと、和宮の位牌を祀る葵の御堂がある。


■本堂入り口にある百万遍念仏の数珠車
百万遍念仏の数珠車
■境内では愛らしい石仏が、訪れる人をやさしく迎えてくれる。
石仏 石仏 石仏

■旧道の石畳。和宮の降嫁にあたり改修したといわれている。
旧道の石畳
■畑宿に残る一里塚
一里塚
■箱根関所跡と芦ノ湖畔に残る旧道の杉並木
箱根関所跡 旧道の杉並木
■芦ノ湖に浮かぶ箱根神社の水中鳥居
箱根神社の水中鳥居


記録によると、和宮薨去3年後の明治13年(1880)9月23日篤姫は新橋から開通間もない鉄道に乗って神奈川へ向かい、人力車で江ノ島に詣でました。その後、小田原に1泊し、熱海で1か月を過ごし、爽やかな秋の箱根路にまで足を延ばし、和宮の終焉の地を訪問しています。

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