篤姫~ゆかりの地を訪ねて~
薩摩藩主島津家の分家に生まれ、藩主の養女に。さらに公家の養女になり、 将軍の御台所にまでのぼりつめた篤姫。しかし、激動の幕末は、ひとりの女性の運命を 過酷に、さらに波瀾に満ちたものへと導きました。 江戸城最後の女あるじとして無血開城を成し遂げ、徳川家の存続のために捧げた人生は、ドラマ以上にドラマチック。強い精神力で、純粋に誇り高く生きた篤姫の足跡を追います。
ゆかりの地を訪ねて
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第1回
篤姫のふるさと・鹿児島篤姫は、天保7年(1836)、島津安芸忠剛(しまづあきただたけ)と・・・・
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第2回
篤姫の運命を変えた島津斉彬当時としては遅すぎる42歳で藩主になった斉彬は、「民のための政」にまい進・・・・
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第3回
江戸、そして大奥へ次期将軍家祥(後の家定)の正室として白羽の矢を立てられた篤姫でしたが・・・・
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第4回
江戸と京篤姫にとって安政5年(1858)は、あらゆる意味で劇的な年となりました。井伊直弼が・・・・
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第5回(最終回)
終焉と再生慶応4年(1868年)、江戸城は明治新政府軍に明け渡され、東京城(とうけいじょう)に改名され、江戸も東京と呼ばれるようになった。時代の流れを篤姫はどのような思いで眺めていただろうか・・・・
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篤姫とは・・・
篤姫は、壮健な体と強靭な精神の持ち主であったと、様々な本には描かれています。
写真で見る篤姫は、がっしりした体躯で長身、黒々とした豊かな髪、意志の強そうなはっきりした目鼻立ちをしており、お姫様というよりも「女丈夫」という言葉がぴったりです。
宮尾登美子さんの小説「天璋院篤姫」の中で養育係の菊本に子供の頃の篤姫について、「それはそれはおやしやすい姫君さまでござりました。お好きお嫌いがはっきりしておさじゃいもすし、何よりお体がお強うおわして、めったにお床におつき遊ばすことはございませんでした」と語らせ、体が強くて目に見えて利発であったと書いています。
一方、細やかな心遣いのやさしい性格で妹たちからも慕われました。今和泉島津家では、そんな篤姫のことを誰もが「男でなくて残念」と悔しがったとか。
やがて篤姫の聡明さは、思いもよらぬ運命を引き寄せることになります。