吉田晃良の職人的気質
吉田晃良の作品を見ていると、いろいろなパーツが組み合わされて出来ていることに気付く。そしてそれぞれのパーツは吉田が時間をかけて一つ一つ丁寧に作り上げたもので成り立っている。
その代表的なものの一つに紙縒がある。和紙を植物染料で染め、細く切って一本一本手で縒ったものである。最近の作品にはこの紙縒りが多用されている。作品を制作するためのプロセスと言ってしまえば確かにその通りではあるが、単純なこの作業を、吉田はまるで至福のときを過ごすように続けるのである。その姿はたとえば工場地帯に働く職人たちが工業部品を研磨したりネジをきったりしているのと同じように見える。違うところがあるとすれば、職人はその技量を求められるのに対して、吉田の場合は技量よりもそれらを組み立てる表現力に関心があるということだろう。
職人として誇りを持って仕事をしている人は、毎日同じようなことを繰り返しているように見えながら、実は毎日新しい発見があることに気づいている人たちだ。伝統的な技を磨きながら、たゆむことなく新しい仕事に取り組んでいるのである。私は吉田の仕事にこうしたアルティザンの感覚に近いものがあるのではないかと思っている。紙縒り作りのように手を動かしながら、そのリズムに乗ってものごとを考えているように思えてならないのだ。技術とか文化というものは、人間が長い時間をかけて作り上げてきたものである。日常性の中に埋没していて、何かのきっかけがなければなかなか顕現化しずらい性質を持っているともいえる。
吉田は日常的にあるそうしたものを感覚的に捉えるだけでなく、有機的な繋がりを持つものと考え、あるときは誇大に、あるときはつつましく、私たちの前に提示する。そこにあるのはなつかしい未来の姿である。今の私たちが最も大切にしなければならない何ものかである。
吉田は布や紙などの繊維素材を用いて現代的な造形作品を制作しているが、それは繊維素材が人間にとって最も身近であり、地球上のどの民族にも共通する素材だからだと語っている。最も日常的なものとの関係性の中に、人類が共有してきた感覚を見ようとするのである。布とか紙は一方で人間にとって実用の要として限りなく大切なものだ。だからこそ私たちはこの素材と様々なかかわりを持つのであるが、吉田が強く意識している部分は紛れもなくそこにあるといえるのではないだろうか。
社会哲学者のエリック・ホッファーは21世紀の人間にとって何よりも大切にしなければならないことは、人間が職人のように生きることだと語ったそうだ。日本でも職人という世界が見直され、最近では職人を目指す若者が増えつつあるという。本当の職人は目の前の現実から逃げることも、現実を先送りすることも許されない。あるがままの現実を受け止め、自分の能力の限りを尽くして対処している。アルティザンとアーティストに大きな違いはないように思う。
(迫)