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「平清盛」の舞台を訪ねる旅

第5回 盛衰の陰で数奇な運命をたどった人々

既成勢力に抗いながら、夢を追い求めた清盛。
その陰には、乱世ゆえに清盛の野望の犠牲となり運命の歯車を狂わされた人々がいました。

悲劇の物語は、平家物語や保元物語、平治物語など、たくさんの文学作品となって今も語り継がれています。


清盛の心変わりに泣いた白拍子


平安時代末期、水干・烏帽子に白鞘巻の太刀をさした男装の舞姫、白拍子が大流行しました。
清盛はそんな白拍子の祇王・祇女姉妹を目にかけ、やがて姉の祇王を寵愛するようになりました。
清盛は姉妹を厚遇し、母の刀自にまで家を与えるほどの執心ぶりだったといいます。

しかし、間もなく清盛は別の白拍子の仏御前に心移りしてしまいます。

失意の祇王は祇女、刀自とともに屋敷を出て出家。
その後、清盛の寵愛はひと時のものにすぎないと気付いた仏御前も加わり、4人の女たちは山深い庵で心静かに念仏三昧の余生を送ったといわれています。

祇王寺
祇王寺
祇王・祇女姉妹と母・刀自、仏御前が仏門に身を捧げた奥嵯峨の地。
四人の女たちの墓や木像、清盛の供養塔が、悲恋の物語を思い起こさせます。

祇王寺

京都府京都市右京区嵯峨鳥居本小坂町32

心の闇と戦い失意のまま果てた崇徳上皇

保元の乱で弟・後白河との権力抗争に敗れた崇徳。
崇徳と清盛は同じ乳母に息子を預けるほど浅からぬ縁があっただけに、後白河側についた清盛を崇徳はどれほど恨んだことでしょう。

讃岐に流されて都への断ち切れぬ思いを抱きながら、8年後この地で崩御しました。
讃岐での崇徳上皇の暮らしは孤独を極め、上皇は怨念の塊となって生涯を終えたと言います。

崇徳は、宮中にいるころから歌の才能が高く評価されており、百人一首にも

「瀬を早み岩にせかるる滝川の われても末にあはむとぞ思ふ」

が収録されていす。
白峰宮
白峰宮

保元の乱によって敗れ讃岐に流された崇徳天皇が崩御された後、都からの連絡を待つ間、この地に安置したと言われています。

四国霊場七十九番札所高照院は天王寺と呼ばれ、白峰宮と境内を同じくしています。

香川県坂出市西庄町1719番地
清盛と崇徳、西行の不思議な関係

西行は23歳で出家し、歌僧となり各地を放浪しました。
1118年生まれで清盛と同い年。北面の武士として清盛と共に活躍し、親しい関係だったといいます。

一方、崇徳と西行は歌を通じて深い友情で結ばれていました。
崇徳が保元の乱に敗れ、仁和寺に逃げ込んで出家をしたとき、西行は自らの危険を顧みず仁和寺に駆けつけたことが知られています。

政争によって友人二人が敵対するようになり、西行の心は複雑だったに違いありません。
崇徳の死後、西行はわざわざ崇徳が眠る讃岐へと赴き、霊を慰めたのでした。


西行庵
西行庵

京都・東山にひっそりと佇む西行庵。
西行が、「蔡華園院」(西行草庵)を営んだところと伝えられ、明治時代に再建されました。


東山区円山公園音楽堂南鷲尾町
平家の栄華と滅亡に翻弄された建礼門院徳子

清盛と時子の間に生まれた徳子は、政略結婚で後白河天皇の第七皇子高倉天皇に嫁ぎ、武家の女性として初めて中宮となった人物。

さらに高倉天皇の皇子を生むと、天皇の外祖父となった清盛はますます権勢を強め、高倉を退位に追い込み、孫を即位させます。
安徳天皇の即位によって権力欲に取りつかれた清盛は絶頂期を迎えますが、その裏では平家への反発が高まっていました。

高倉帝、清盛の相次ぐ死によって、平家の勢力は一気に失速。
壇ノ浦の戦いで平家滅亡が決定的になると、徳子は安徳天皇を抱いて入水自殺を図りますが、源氏の兵に助けられ、京に送還されて出家しました。

長楽寺で出家し建礼門院と称するようになった徳子は、大原の寂光院で安徳天皇と平家一門の菩提を弔いながらひっそりと余生を過ごしたといわれています。
長楽寺
長楽寺

平家ゆかりの寺として安徳天皇画像、安徳天皇の衣で作ったと伝わる幡、建礼門院彫像を収蔵。
境内には建礼門院の毛髪塔といわれる十一重石塔があります。


京都府京都市東山区八坂鳥居前東入る円山町626

平家落人伝説の里

六萬寺

六萬寺(香川県高松市牟礼町)

都落ちした平家一門は、安徳天皇と建礼門院を連れて海路をさすらい、ようやく讃岐国屋島に落ち着くことができました。

しかし、御殿の築造が間に合わず、行在所(あんざいしょ 天皇の住まい)に充てられたのが、六萬寺でした。平家一門がこの地で暮らしたのは、のべ1年半。
度重なる戦乱で疲れた一同を、地元の人たちは温かく迎え入れました。六萬寺には幼帝を慰めるために催された田井子供神相撲が今も受け継がれているほか、平宗盛寄進の灯篭が残されています。

大河ドラマ衣裳考証 小泉清子

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